SSブログ

香港便機内にて [昔話]

香港シリーズ?第2弾、の昔話。

まだ飛行機に乗り慣れていなかった頃、香港行きのキャセ・パシフィックの機内での出来事。

勿論エコノミークラスだったが、座席はたまたま進行方向に向かって一番先頭の位置で、離陸時には美人アテンダントが正面に対座して座ってくれるという、とても有難いシチュエーションだった。

あっという間に離陸体制から上昇、やがて水平飛行に切り替わり、アテンダント達が各々のサービス業務にかかるべく一斉にベルトを外して立ち上がる。

程なく先ほどの彼女がにっこり微笑んで、どうぞ、みたいな事を言いながらおぼんの上に積まれたおしぼりを差し出す。ぎこちなくサンキュー、と言いながらその一つを受け取り、広げるなりやおら顔の上に被せ、その心地よい熱気を顔面で味わった。

突然の出張の命を受けた為、前夜はその準備で一睡もしてなかった私は、フライトの緊張感から一気に開放されそのまま一瞬まどろむ。



暗闇の中で声を掛けられている気がして、おしぼりを跳ね除けた。

先ほどと同じ満面の笑みを浮かべた彼女が再び視界に入る。手には今回もおぼん。しかし、その上には何も乗ってない。

自分がまどろんだ事に多少狼狽していた私は、状況が読めずに思わずおぼんをつかんだ。しかし彼女も手を離さない。最前列の席で彼女と私の間でおぼんの引っ張り合いが一瞬続いた。

なんなんだ。

隣の乗客がそのおぼんの上におしぼりを置く。

その時ようやく全てを理解した私はかぁっと熱くなりながらおぼんを手放す。引っ張り合いをしていた彼女がのけ反ってフロントの壁に軽く尻餅をついた。

頭の中が真っ白になるのを感じながら、エクスキューズ・ミーと言いつつ私もおしぼりをおぼんの上に返した。



#穴があったら入れたい。

最も幼い記憶 [昔話]

最も幼い記憶。。。

  • お名前は?
  • 何歳(いくつ)かな?
  • 好きな色は?
  • 嫌いな食べ物があったら教えてくれる?
  • 誕生日は言えるかな?
  • 何人兄弟だっけ?

ここまでの基本問題は楽勝でパス。

  • お母さんの名前は?
  • 一人でバスに乗れるかな?
  • お家の近くのバス停の名前分かる?

このレベルの応用問題までは練習の成果もあり、完璧。が、忘れもしない次の質問。

  • お父さんは何歳(いくつ)か言えるかな?



この質問に挫折した。一生懸命考えたがどうしても答えられない。悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、大声でわーわー泣いた。母がなだめてくれた。

幼稚園入園試験面接での出来事。最も幼い記憶。

忘れられない。

バレンタインの夜 [昔話]

玄関の扉がガラガラと開く音がした。時刻は夜8時半頃。少し間を置いて「こんばんはぁ~。」という若い女性の声。

あれこんな時間に誰だろう。と一瞬思った直後に今日が2月14日だった事を思い出した。ひょっとしてここここれは、と玄関へダッシュ。

その途端、多分全く同じ事を考えたに違いない3歳上の兄貴が、どたどたどたどたどたと二階から階段を転がり落ちてきた。玄関で鉢合わせ、はぁはぁと息の上がる阿呆ブラザーズ。そしてその反応に戸惑う来客。

果たして彼女は私の隣のクラスに在籍する女性だった。

すごすごと階段を上がる兄貴。

腹の中で「勝った」と呟きピースサインをぐっと堪える俺。



「これプレゼント。」「ありがと。別にいいのに。」「だって。」「うん、ありがとう。」

このたわいもない会話は未だに良く憶えている。そして、ほっとした表情を見せた彼女は、玄関の扉を今度は音を立てない様にゆっくり閉じて帰っていった。

初めて貰ったバレンタインデー・チョコ。それは、義理チョコとかいう言葉が全く存在しない、この日のチョコの受け渡し行為がが極めて神聖なイベントだった頃の出来事だった。

30年以上前、よたろうが中学3年生の時である。

なんやそれ、結局自慢話かい。あほらし。カットじゃ、ぼけ。

米子にて#2 [昔話]

この正月に田舎に帰って想い出した回想録。

高校の時の同級生に好きな子がいた。名前はWさん。

当時は超硬派の体育会系部活に所属しており一年中坊主頭の古典的学坊だったよたろうは、想いを告白するとか以前に日常的な会話を彼女とする事さえも皆無だった。

そしてそのまま彼女とは何事も無いまま高校を卒業し、それぞれ全く異なる次のステージに進学する。

20歳台前半、そろそろ人生初期の生き方が見えてきた頃の正月に、突然脈略もなく彼女から年賀状が届いた。勿論それまで彼女から年賀状はおろか手紙のひとつさえ受け取ったことは無い。なんなんだろう、と思いつつ何かを期待しながら力を込めた返信を記した。

そしてその年の夏、帰省した時に彼女の実家に思い切って電話を入れた。最初に出てきたのは彼女の妹さん。どぎまぎしながらこちらの名前を告げ、再度電話しますので宜しくお伝え下さいと電話を置く。

その日の夜に再度電話を入れた。果たして出てきたのはお目当てのWさん。

「今晩は。」
「今晩は。久しぶり。」
「どうしたの。」
「いや、どうもしないけど、、、元気?」
「、、、うん、元気。」

そもそも高校で同級だった頃にまともに話した事さえない訳だから、この会話自体が余りにも不自然なのである。でも若さゆえの勝負にでた。

「えーと、明日もし時間があればどこかで待ち合わせて、映画とかでもいっしょに観に行かない?」

「.......................」

永遠とも思われる沈黙があった後に、受話器から聞こえた彼女の台詞。

「、、、あのね、私、つい最近、名前が変わったの。」

この言葉を聞いた時の衝撃は未だに忘れない。余りの狼狽で、その後、どうその会話を取り繕ってしめたかさえ良く憶えていない。

未だに想い出しては脳内がかぁっと熱くなる、酸っぱい想い出である。

クリスマスの苦い想い出 [昔話]

メリー・クリスマス♪♪

過去のクリスマスにロマンチックな想い出が無い訳ではないが、どちらかと言うと情けないクリスマス・イブの夜の光景の方が多かったよたろうである。

養老の滝で野郎数人で飲んだくれたとか、ホテルは予約したものの結局独りで泊まったとか。。。

以下は、その中で最も幼い記憶。私が幼稚園の年長さんだった時のクリスマス・イブの日。



幼稚園の先生が園児を前にして言った。

「今夜はお父さんお母さんにお願いして、お家で一番大きい長靴を用意して貰いなさい。それを玄関先に置いてお祈りをしてからお休みをすると、明日の朝にはそこにサンタさんから皆さんへのプレゼントがきっと入っているから。」

という主旨だった。その時点でサンタクロースの存在を既に何となく信じていなかったよたろうだったが、妙に先生が真面目な顔をして言うので、本当かなぁと思いつつその夜それを実行した。

ただし母が、玄関の外に長靴を置いとくのは不用心だから玄関の内側に置きなさい、と言ったのでそれに素直に従った。サンタクロースはよたろうの家の玄関の鍵を持っているのだろうか、よたろう家の煙突は彼が通るだけの幅を持ち合わせてはいないし、とか思いながら。

翌朝、目覚めとともに玄関に走ったがはたして長靴の中は空っぽだった。やっぱりと思いつつなんだよそれ、みたいな感覚があった覚えがある。

ところがその日幼稚園に行って驚いた。クラスの大半の子が、長靴にプレゼントが入っていた、と大騒ぎになっていたのだ。

心から彼ら彼女らを羨ましいと思いながらも、多分プレゼントを運んだのは、幼稚園の先生なんだろうと幼きよたろうは解釈した。よたろう家の鍵を持っていない先生は、長靴にたどり着けなかったんだろう。



それから何年か経って、物心が多少付いた頃。やはりクリスマスの時期が近づいてこの幼稚園時代の記憶を回想した時に初めて理解できた事があった。

あの時玄関の長靴にプレゼントを入れたのは、子供たちから話を聞いて長靴を用意しながら先生の意図をくみ取った、各家庭のお父さん、お母さんだったに間違いない事。

それに気付いた時、改めてなんだよそれ、と親をほんの少しだけ恨んだ。



以上、何十年も前のこの家の玄関先をめぐる出来事である。

メリー・クリスマス♪♪

田舎者自慢 [昔話]

貧乏自慢、不幸自慢、という類の自虐ネタというジャンルというか自己主張が世の中には存在する。

というわけで今日はよたろうの田舎者自慢を。田舎自慢ではなく、田舎者自慢なのでお間違え無く。


1) 初めて見た洋楽の生ライブはベンチャーズだった。
2) 初めて見た邦楽の生ライブは寺内タケシとブルージーンズだった。
3) 初めて買ったレコードは質屋で100円で手に入れた森山良子さん。

4) 洋式トイレで初めて用を足したのは18歳の時。
5) 子供の頃、近所の神社で賽銭箱をひっくり返して駄菓子屋に走るのが唯一の贅沢だった。
6) 8階建て以上のビルを初めて見たのは小学校6年生の時。

7) 今でも帰省すると由美かおると水原ひろしの看板を見かける。
8) オールナイトニッポンやセイヤング!は圏外で、地方局のパーソナリティが方言丸出しで喋る深夜放送を聴いて受験勉強をした。
9) 高校2年まで五右衛門風呂だった。

10) 外人を初めて見たのもベンチャーズ。
11) 同級生の親が殆ど親の同級生だった。
12) クラブ活動を終えた後の学校からの帰り道は真っ暗で星が綺麗だった。時々カエルを踏んでパーンと鳴る音に仰天した。

13) 通学電車は一両編成だった。
14) 中学高校の最寄り駅は無人駅だった。
15) 大学受験の時同じ宿に泊まった他の県の出身者に方言が通じず、会話が成立しなかった。

16) 汲み取り型直下式トイレにスリッパを落として親にひどく怒られた事がある。
17) ザリガニをカエルで釣って、それを現場で食べる友達がいた。
18) 川にゲンゴロウとミズスマシがいたが、実は雷魚まで普通にいた。

19) 刺身とはイカの事だと思っていた。
20) お○ん○の事をめんちょと言った。
21) ギターを弾くのは不良だと思われていた。

以上。どーでもいいですが。

尼崎にて [昔話]

親父の仕事の関係で小中学校時代は転校しまくっていた。小学校の最後は兵庫県尼崎市の阪急沿線の学校に居た。

音楽とかスポーツとか女性とかアレとかナニとかに、こだわりというか色気づき始めたのがこの頃。

同級生の女性で圧倒的に可愛かったのが河上さんと古森さんだった(実名報道はやばいですが多分絶対ばれないと思うので敢えて)。河上さんは今で例えれば長谷川京子さんの様な声を掛け難い圧倒的な美形。古森さんはどっちかと言えば佐藤江梨子さんの様な美形なんだけどしゃれが通じる3枚目的な要素があった。

彼女らと会話したい男共は当然敷居の低い古森さん(サトエリ)をターゲットにした。ところでこれは偶然だが、その時、クラスの席はよたろうの前が古森さん(サトエリ)、その前が河上さん(ハセキョウ)だった。

彼女らに対する色々な紆余曲折のちょっかい活動の末に、一時的に盛り上がったアクションがあった。給食で配給される瓶詰めの牛乳を彼女達が飲み干す瞬間に、下品でくだらない阿呆な事をさりげなく後ろから囁いて、彼女らが失笑の末に不覚を取るのを目的とした悪さ。その結末を得るために涙ぐましい知恵を昼休みに繰り広げた。

私の前で美女2人が牛乳の蓋を開け、そこに唇をつけた瞬間に囁き攻撃を開始する。

「河上(ハセキョウ)のパンツ。」
「河上(ハセキョウ)のパンツの染み。」
「河上(ハセキョウ)のケツ。」
「河上(ハセキョウ)のケツから出たおなら。」
「河上(ハセキョウ)のケツから出たおならのにおい。」
「河上(ハセキョウ)のケツから出たおならのにおいを嗅ぐ前川(担任の先生です)。」

大体このあたりで、古森(サトエリ)の口から発射された牛乳爆弾が河上(ハセキョウ)の頭上に降りかかっていた。

あの頃は怖いものは何もなかった。ただ、あなたの優しさが怖かった♪。

音楽の授業 [昔話]

音楽鑑賞(という言葉はやたら旧い言い回しで死語に近い表現かも知れないが)、それは私にとって最も長続きしている趣味であろう。

しかし、小学校~中学校の音楽の授業はなんの面白みも感じられない退屈な時間に過ぎなかった。教科書に載っている曲の「調」を先生に聞かれて、ドから始まっている譜面ゆえに「ド長調」と答え、大恥をかいた事もある。それほど音楽については無知で、そもそも学問的な興味も当時は持てなかった。

そんな私にとって、忘れられない音楽の授業のひとコマがある。中学3年の時。

曲名は忘れたが「輝く美空」という歌詞を含む曲の独唱のテストがあった。その部分のメロディーだけ今も覚えている。「かぁが~やく~みそら~~~♪」というノリで抑揚をつけて歌う重要なパートだった気がする。

クラスの生徒を前に一人起立した私はその部分を先生のピアノに合わせ

「かぁが~やく~みそら~~ぁぁめん♪」

と元気よく歌った。

その途端、演奏を中座した先生(若い女性でした)は怒りと情けなさ(多分)で顔を真っ赤にして教室を出て行ってそのまま帰ってこなかった。

その後のバツの悪かった事。。。

真面目な先生の授業中しかもテスト中に、こんな事してはいけません。>娘達へ。

酒の味を知った日 [昔話]

はるか昔、私がまだ高校生だった頃。

その頃私の父は地方銀行の支店長勤めをしていた。ので、契約先法人・個人から届くお歳暮、お中元の類が家中にサーブされるのは極めて日常的だった。

アルコール系の贈答品も酒好きの親父の消化速度に負けないスピードで、応接の棚や寝室の物入れに絶える事無く蓄積されていた。

高校3年になってクラブ活動も卒業しそろそろ受験勉強とやらの体制に入りつつあった私はある夜、何を思ったか憶えていないが、多分ちょっとした興味とやるせないもんもんとしたストレスからだと思う。親父の寝室から一升瓶の入った飾り箱を自室に持ち込んだ。

グラスに注いだ日本酒に恐る恐る口を付ける。

びっくりした。なんだこの経験したことの無い味わいは。多分それなりの銘柄だったのだろう。その美味しさとコクとそして大人の感覚にグラスを重ねた。

その日を境に、夜中の一人酒盛りが日常化した。その美味さを純粋に知ってしまった私は「酔い」の感覚を煩わしくさえ感じた事を今でもはっきり憶えている。

結果、私の部屋の押入れに空の一升瓶が溢れるまで日数は掛からなかった。そしてそれが親父に見つかる日を迎える。(以下続く(かも))。

徳島で [昔話]

徳島の唯一最大の歓楽街、秋田町のスナックで。

おかまのママが看板の店。彼女はその世界ではちょっとした有名人の部類に入る。この時は、店に入るや否やカウンターに座って琥珀色の液体を舐めている婦人をママにいきなり紹介された。開口一番、私の顔を覗き込んだ彼女が

「あらぁ、かわいぃ~。」

と呟く。がさつな性格の私はこういうシチュエーションでこういう言い方をされるのは嫌いではない。その時初めて彼女の正体に気づいた。

カルーセル麻紀だ。

言葉を交わしながら握手をした"彼女"の手はとても柔らかかった。

その後店を出るまでの空間の中で解った事は、"彼女"が非常に魅力的で可愛い人だという事だった。また逢う機会あるかな。

ちょっと待て、大丈夫か>俺。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。